2023年
2023年を振り返る。今まで両親に甘えさせてもらってばかりだった41年。好き放題させてもらい伸び伸び生きてきた。
2023年は2月から5月頭まで父が脳梗塞で入院。一時は歩く事も出来ず、父がいなくなるかもと頭を過り涙が溢れた。そんな父は劇的な回復をみせ、今は運転し1時間くらいは散歩に行けるほど元気になった。母が入院中や、愛媛に帰ると1人暮らし。何だか不安だか、自分である程度の事はできるので助かる。
あれから母は、10/16から12/5まで入院。なんとか肺炎も落ち着いてくれた。処方された薬で凄く汗が出た時もあようだが、それ程キツイ副反応はなかったようだ😚入院も長くなるとお友達もできたようで、娘としては嬉しい😊
2023年は夫婦揃って病院生活が多かったが、来年もみんなで楽しい事したいな。12月旅行記はまた!
風邪ひいたかな?
今まで輸血を週1回1パックのペースでしていた母。我が家から病院まで1時間かかる事を考慮して、2週間に1回の通院にしましょうか、と先生に提案され、前回は2パックの輸血をした。
1パックおよそ2時間かかる輸血。2パックとなると4時間。厳密には4時間かかってなかったが、かなり時間がかかる。前回は父とショッピングセンターで母を待った。脳梗塞で倒れた父と仲良く買い物するのも尊い時間だが、捻くれ者の父とはしばしば口喧嘩もする。私も同じく捻くれ者なのかもしれない。
輸血して1週間後くらいから、母の様子が少し辛そう。最近流行り病が流行している為、どこかで菌をもらったのか咳もある。3日連続で子供の発表会にも連れて行ったりしたから、疲れが溜まったのかもしれない。
昨日も私の演奏するコンサートへ来てくれたが、舞台から母の顔を見ていると、目がうつろうつろ。「母さん大丈夫?しんどかったんやない?」って聞くと、「咳が出そうで我慢してた」と。我慢するタイプなので本当の事は分からないが、兎に角体力がなくなってそうだ。
今日は二週間ぶりの病院。色んな数値が悪くなっていませんように。
昨日は薬師如来が祀られているお寺での演奏。母が元気になりますようにと願いを込めて。
先週の子供のダンスバトル。母は音楽やダンスが好き。
鍼治療へ
増血能力がほぼない母は、週に一度の輸血で命を繋いでいる。
少しでも輸血の量が減ればよいなと俄な期待をしつつ、5月頃知り合いを通じ知り合った鍼の先生にも診て頂くことに。
珍しい病気を調べて下さり、増血にアプローチするツボを調べ施術して下さった。病気が無くても、鍼を打ちたくなる身体(笑)と言われ、しっかり診ていただいた。
数日ズンズンしているようだ。何かしら効果があれば良いなー。
鍼とは関係ないが、一昨日夜手が内出血していたらしい。今回は診察二週間空いているから少し心配。来週の診察まで何事もありませんように。母は頑張りやさんで、無理するタイプだから要注意。
手の内出血
楽しい事を動ける時に
9月頭に関西に来た母。あまり歩く事はできないが、気持ちも元気、季節も過ごし易いので外出できるときは外に出る。
9/29 中秋の名月を眺めながらBBQ
10/1 京都の河井寛次郎記念館へ。
10/1 京都水族館へ。レンタル車椅子で移動。
10/5 京都細見美術館へ。
10/7.8.9 孫のダンスイベントへ。これは長時間で疲れたと思うが、楽しかったと言ってくれた。
10/11 友人の個展へ。水を忘れてしまい途中息苦しくなるが、水分補給し復活😚💨
なんだかんだで、忙しい日々を過ごしている母。連れ回し過ぎかもしれないが、行きたい場所には出来るだけ連れて行きたい。過ごし易い秋が暫く続けば良いが、グッと寒くなってきた。
余命宣告を受け一ヶ月間の通院
8月14日に余命宣告を受け一週間。関西で治療する事が決まった。
そうと決まれば近くに住める家を探さねばとネット検索。偶々、我が家から2キロ程の車がなくても買い物に困らない物件を発見。直ぐ連絡し内覧。現地は、日当たりは悪くないが10年ほど空き家だった為、お風呂が不気味。あと階段は、結局歩くのが辛い母には悪条件。家賃は比較的安いが、初期費用に30万程はかかる。。
その帰り道、そういえば最近お話したご近所さんが9月にお引越しされると言われていた事を思い出し突撃訪問させていただき聞いてみた。
こちらの状況を話し、大家さんに確認を取ってください、翌日入居許可を頂けた。その家は、我が家から数百メートル。調子が良ければ、母も歩けそうな距離感。これこそ、神の御導きではないかと思い感謝と感激。とりあえず9月末までは、我が家で一緒に生活する事になった。
9月4日
愛媛から神戸まで高速バスで移動。一人で来れた😚💨
◉9月5日
病院🏥初の診察
様々検査と輸血で10時から17時までかかる。
◉9月11日
病院🏥2回目診察
抗がん剤治療【ジャガビー】を始め、強い副作用が出る可能性もあるので入院を進められる。
◉9月13日
入院【1.2週間の入院と告げられる】
◉9月20日
なかなかお見舞いに行けず、一週間ぶりに会った母は元気そうで安心した。抗がん剤治療の副作用もほぼ無いらしい。食事が不味いのは残念なようだ。この日は先生との話が16時からだったので、14時半に下の休憩ルームで待ち合わせし一緒にドーナツ食べた。母とのこんな時間が尊い。16時から18月までは、病気の説明と骨髄移植について。→またこの話は別で書きます。
◉9月23日
退院。孫たちと一緒に迎えに行く。帰りにニトリで買い物し、スシローへ。久々に沢山歩いて疲れただろう。
9月の通院はこんな感じ。週一回の輸血は欠かせない状況。沢山歩くと息切れするが、それ以外は調子良さそう。本人に余命宣告受けてるのか、と疑う程だ。
今後どこで治療していくべきか悩んだ頃
愛媛県で3人の子供を育て、子供たちは地方へ巣立ち、かれこれ2人暮らしになり20年ほどの両親。
父は、今年2月から5月までの3ヶ月、脳梗塞の為入院。退院し3ヶ月弱でこの状況。
父は入院当初、呂律が回らず話す事もままならない中、入院して直ぐに『元気になって、京丹後の伊根の船屋へ行ってみたい!』と語り出し、この人前向きだなぁと驚かされた。見事に復活し、今では運転し仕事も復活。入院中も電話で、仕事のやり取りをしていた事がリハビリになりよかったのかもしれない。
兎に角そんな状況の為、今まで通り愛媛で2人暮らしは難しいと判断。
愛媛の実家に思い入れがあり、父は仕事を続けているので、私の住む関西に来たら?と、なかなか言い出せ無かったが、はじめは冗談ぽく言ってみた。
『セカンドオピニオンの話もあるし、一回関西の大きな病院で診察受けてみたら?うちの近くから病院通ってもいいし』ってな感じで。
元々気を遣う母は案の定『あんたいつも忙しいけん、私が行って迷惑かけれんわい。ありがとう。』『この体力で、引越しやらできんわい、、』等、予想通りの返信。
とりあえず父は仕事もしているし、関西と愛媛を行ったり来たりしながら、母は関西で基本的には暮らす事を提案。何度かやり取りして、
『迷惑かけてしまうけど、かまんので?』と了承してもらい関西に来る事が決まった。
愛媛の主治医に、関西で良い病院はないか相談した。私が調べた候補【通院できる範囲内】どこでも精密に診察してくれるでしょうと言うことで、半はインスピレーションで決めた。
西洋医学、東洋医学、両方を上手く治療して頂ければと、色々調べる。
これが8月末の出来事。
✴︎松山三津浜の花火大会🎆
私は子供3人で真下から観覧。
母は病室から観覧。
別々の場所でも、一緒に観れて嬉しかった。